39 埼玉稲荷山古墳と富士山と浅間神社

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写真1:稲荷山古墳(行田市)(Google earth)


 埼玉県行田市の稲荷山古墳である。全国の古墳で最大である大阪府堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)と比べると、大きさは四分の一だが、まったく同じ形をしている。埼玉県内でいえば、同じ埼玉古墳群にある二子山古墳に次ぎ二番目の大きさである。この稲荷山古墳からは、1968年に、記紀にみる雄略天皇(ワカタケル)の名の入った115文字が刻まれた鉄剣が発見された。鉄剣は金錯銘鉄剣と呼ばれ、この発見によって、5世紀後半に既にヤマト王権の影響が東国にまで及んでいたことが判明した。それは古代史研究にとって、画期的な発見だった。その後研究が進み、現在のところ鉄剣に刻まれた「辛亥年」は、471年であるとの説が有力になっている。

 また、この稲荷山古墳の円墳部頂上に立ち前方部を見ると、その先に富士山が見えることは研究者の間では有名な話である。


写真2:埼玉古墳群。上から稲荷山、二子山、鉄砲山古墳(Google earth)


 同じ埼玉古墳群にある二子山古墳と、鉄砲山古墳も、規模こそ違うが大仙陵古墳と全くの同形である。また二子山古墳は、武蔵国最大の前方後円墳である。埼玉古墳群の中で、稲荷山古墳と二子山古墳、鉄砲山古墳は、同じ形をして、斜め並列に並び、前方部を三基ともが富士に向けている。三つの古墳とも、後円部から西に突出部があることが特徴的である。稲荷山古墳は5世紀後半に築造され、二子山古墳は6世紀前半、鉄砲山古墳は6世紀後半築造である。

 また、丸墓山古墳には、頂部に以前、石仏が数体置かれていたのだが、いつからか墳丘から降ろされている。写真で見るとその中の一体は、胎蔵界定印を結ぶ大日如来とみているのだが、近くに関心のある方が居れば確認していただきたい。鉄砲山古墳のすぐそばには、寄り添うように浅間神社がある。


写真3:埼玉古墳群と周辺火山、浅間神社(Google earth)


 研究者の方や地元の方には常識なのかもしれないが、筆者はちょっと前に地図を見ていて気が付いた。稲荷山古墳が指す富士山への直線を、富士からさらに延長すると、前回も採り上げた富士山南山麓にある山宮浅間神社に繋がるようである(リンク1)。横にある二子山古墳の直線は、静岡市の静岡浅間神社の山宮である麓山(ふもと)神社に到達する。そして、鉄砲山古墳のものは、富士宮市の富士山本宮浅間大社を指している。稲荷山古墳から富士山越しに見てみると、三つの浅間神社は、ほぼ直線に並んでいるように見える。稲荷山古墳と二子山・鉄砲山古墳の三基が、前方部を富士山に向けていたのは、単なるランドマークとして富士山を扱っていただけではなく、三つの浅間神社の創建にも関係するような大きな意図があったようである。

 山宮浅間神社については前回、青沢溶岩流と呼ばれる、460年頃に富士山の山腹から噴出した溶岩流の先端にあることを説明した。当時の富士山南山麓に住んだ人にとって、その祭祀場は火山災害の最前線だったのである。460年頃の噴出という調査結果は、放射性炭素年代測定と神津嶋テフラを基準に判定したとされるが、それとも地質研究者の方が稲荷山古墳と関連付けで出した結果なのだろうか。どちらにしろ青沢溶岩流の噴出約10年後と、辛亥年471年は非常に近いタイミングで、有力者ヲワケの墓の築造に際して、その溶岩流先端の祭祀場を墳墓位置の基準のひとつとした。そして、富士山の向こう、山のちょうど反対側の場所に稲荷山古墳を造り、富士山をまたぐ東国規模のスケールで埋葬の舞台を作ったのである。

 二子山古墳に対応する、静岡市にある静岡浅間神社の山宮のある尾根山は、賤機山(しずはたやま)と称し、「静岡」の由来ともされるが、南半分は「浅間山」(せんげんやま)とも呼ばれる。その浅間山の先端に位置するのが、静岡浅間神社の山宮、麓山神社である。この場合も伊勢神宮の中央構造線と同じように、古代の人たちは地殻断層に気が付いていたようである。ここには糸魚川ー静岡構造線と呼ばれる、新潟県糸魚川市から長野県諏訪市を通って静岡市に至る、日本列島を東西に分ける大断層が通っていて、3世紀と7世紀に活動のあった痕跡が発見されている。当時の人たちには断層信仰的な考え方があったのだろうか。近くを通る安倍川は、断層の割れ目である。古代の人はそこを、地震を収める霊験を強く持つ場所、土地を鎮める場所として大切にしていたと思われる。

 鉄砲山古墳に対応する富士山本宮浅間大社においても、前回説明した通り、富士山の溶岩流の先端に位置していて、溶岩の地層を何キロも通って湧玉池から途切れず湧き出る水は、火山の恵みそのものであって、人々から崇敬される場所だったと想像がつく。その清浄な水の恵みの霊験を稲荷山古墳は祭祀に使ったのである。


リンク1:埼玉古墳群と周辺火山と浅間神社イメージ(グーグルマップ)


 そうして見ていると、陰陽五行に「木火土金水」の五気があることくらいは筆者でも知識があり、山宮浅間神社は溶岩流の先端にあることから「火」を担当し、静岡浅間神社の山宮は土地の地鎮を意味する「土」、富士山本宮浅間大社はもちろん「水」を担当している程度は想像がつく。残る「金」と「木」を探して稲荷山古墳の真北を見てみると、日光に栃木を代表する山である男体山が鎮座している。男体山は、およそ7000年前に噴火を起こし、その時の姿を円錐形のまま残す名山である。日光は足尾銅山こそ江戸期の開山だが、西山金山など歴史の古い鉱山も多い。続日本記の文武三年(699)には、「下野国献雌黄」と、下野国(しもつけのくに)が雌黄(しおう)を献上したとある。雌黄とは顔料に用いられた硫化鉱物である。男体山が「金」のようである。「木」は、稲荷山古墳の真西に位置し、北アルプスにそびえる乗鞍岳だろう。乗鞍岳は、良木の産地で有名な木曽谷の最源流に位置する火山である。律令時代に飛騨国から大工が徴用されているようである。約2000年前には、頂上部にいくつもある火山ピークのひとつ、恵比寿岳が噴火している。

 埼玉古墳群の三つの古墳は、築造にそれぞれ50年以上の開きがあるものの、築造計画の当初から陰陽五行の五気を備える火山を設定し、その位置から古墳の場所が決められているようである。最初から、陰陽五行の法則に基づいた火山を探したのである。そこには、生命の蘇りや権力誇示などの意図があったかもしれない。この被葬者は、日光の男体山のある下野国から富士山麓の駿河まで影響力を与えるほど広範囲に権力を得たのだろうか。

 ただここでは、選ばれているすべての場所が、火山に関連する場所であることも見過ごせない。まず、この東国をまたぐ祭祀軸が、火山である富士山を中心に引かれたものであることは、非常に重要である。 埼玉古墳群と浅間神社の三本線をよく見てみると、富士との交点は実にリアルである。富士山と交わる地点は、稲荷山古墳こそ富士山頂の白山岳を通っているものの、二子山古墳と鉄砲山古墳の直線は、山頂部のどの位置も通っておらず、富士山頂上直下の山腹を通っているようであるが、これは恐らくこの5世紀から6世紀頃、図にも示した青沢溶岩流などの火山噴火が、山腹から噴出していた為だと思われる。5世紀中頃にあった大淵スコリアの噴出も、山腹から噴出していたことが分かっている。青沢溶岩流の止まった場所を、後に山宮浅間神社となる遥拝所としたのなら、溶岩流が噴出した場所を祭祀場として奉っていてもおかしくはない。埼玉古墳群の後円部に突出部があるのも、山腹からの噴火をイメージしていた為と思われる。そこからは、富士の様子を克明に観察していた様子がうかがえる。

 後に富士の祭神は竹取物語のかぐや姫とされるが、ここでは既に、富士の信奉者が、愛しむかぐや姫と見立てた富士の動向に、目を凝らしている姿が見えてくるようである。以前に竹取物語の一説を紹介したが、もう一度紹介しておく。かぐや姫を育てる翁の気持ちを語る部分である。

翁、心地悪しく苦しき時も、この子を見れば、苦しきことも止みぬ。腹立たしきことも慰みけり。


 少なくとも5世紀から6世紀の東国では、富士山を頂点とする火山群と、古墳とを使った火山文化が存在していたようである。それは、人間の生存本能に基づく天災への恐れや、火山噴火への畏怖を起源としていた。稲荷山古墳の場合、その延長線上にあった、生命の蘇りや権力の誇示の意図が存在したかもしれない。それらは、どちらにせよ、火山の力を借りようとする考えに由来していたのである。

 そして、その文化圏は、伊勢志摩地方にまで広がっていたのではないだろうか。上記の稲荷山古墳における祭祀には、これまで述べてきた、富士を指す神宮の二等辺三角形や中央構造線上にある立地、古墳を使った災害信仰である浅間さん、火山をイメージする埴輪が発掘されている宝塚古墳などと共通する性格が伺える。これらは、おそらく同じ火山文化から発した遺跡だと思われるのである。


◆2016.6.10 日本経済新聞 電子版

 政府の地震調査委員会(委員長・平田直東京大学教授)は10日、全国各地で今後30年内に震度6弱以上の大地震に見舞われる確率を示した2016年版の「全国地震動予測地図」を発表した。

(中略)

 評価が見直されたのは糸魚川―静岡構造線断層帯。中北部の一部区間は比較的高い確率で地震を起こす可能性があるとする一方、それ以外の区間は確率が低いと評価した。この結果、長野県安曇野市内で14年版に比べて10.4ポイント上昇し29.5%に、同県小谷村内では12.6ポイント下降し3.9%になった。

以下省略



引用参考文献

・金井塚良一(編)「稲荷山古墳の鉄剣を見直す」学生社、2001年6月

・宮地直道「過去1万1000年間の富士火山の噴火史と噴出率、

 噴火規模の推移」(富士火山)山梨環境科学研究所、2007年

・糸魚川-静岡構造線断層帯の長期評価(第二版)

 地震調査研究推進本部 平成27年4月24日

・富士市立博物館「富士山のふもとに灰を雨らす・第53回企画展」、2014年

・佐藤祐樹、藤村翔「考古学から見た富士山の噴火と地域社会の変動」

 「考古学から見た静岡の災害と復興」静岡県考古学会、2013年

・保立道久「かぐや姫と王権神話・竹取物語・天皇・火山神話」

 洋泉社、2010年

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