10 五ヶ所浦 龍仙山
標高は402メートルながら、龍仙山から五ヶ所湾をじっと眺めていると、北アルプスにいて、雲海を眺めているような錯覚を覚える。岬に迫る海が、雲のように見える。今日はうす曇の天気だったのでなおさらである。龍仙山の頂上からは、湾内の浦々の形が手に取るように見えて、遠くは先志摩の御座もはっきり展望できる。素晴らしい景色は、さすがは五ヶ所浦を代表する山である。
南勢町の船越には、ちょうど登山口のある南勢中学校の横に浦の浅間さんがあって、龍仙山は浅間さんグループの中では特別な扱いである。頂上は展望が利くように雑木が払われ、きちんと大日如来が祭られている。
龍仙山という名前から、地中に居て地震を起こそうとする、龍を押さえている要の山を想像する。五ヶ所湾全体を見渡せるこの山頂に立てば、この山が、この地の中心的な鎮守山であることが納得できるはずである。
「大日本国地震之図」(原田正彰氏蔵) 龍の棲む日本/黒田日出男(岩波新書)より
龍が日本列島を取り囲んでいる。いや、巻き込んでいるのだろうか。
図の右下には寛永元年(1624)とあるが、奈良時代に東大寺建立に尽力した行基作といわれる行基図を手本に描かれているといわれる。平安からの中世には、鯰ではなく、龍が地中深くに潜んでいて、地震の原因となっていると考えられていた。内側には「常陸」など国の名前が書き込まれ、そのなかには「志摩」の文字も見える。
そして体を一周させた龍は、常陸の国の上で、自分の尻尾をくわえ、その頭には剣が突き刺されて、剣には「かなめ(要)石」と添え書きがある。剣が要石そのもののようである。図の右上には、「ゆるくとも よもやぬけしのかなめ石 かしまの神の あらんかぎりは」、と要石に関する古図には欠かせない文句の書き込みも見られる。
貫かれた剣は、地面を貫いて、龍の頭を押さえているのである。それは、現在でも見る、地鎮祭の盛り砂に刺さされた御幣にも見えないだろうか。
五ヶ所の近くの方座浦の幣を思い出してみる。「方座の弊は、昔はあと3メートルは長かったよ」と年寄りは自慢していた。幣の地面に置かれた姿は、太く長く迫力を感じた。そして、地面を突き刺し、地中の龍の頭を貫いているように見えた。方座浦で弊は、御幣から剣、そして要石に変化を遂げたのではないだろうか。それは、御幣が持つ祓いの意味や霊験性を兼ね備えながら、堅く深い地中を貫くために巨樹・柱・要石に近づこうと成長していったとも思える。方座浦では、地中いる龍が暴れ、津波が浦を襲ったが、その被害は湾に山が迫る地形的な要因もあり、より大きな被害を出していたのではないだろうか。津波の強い勢いは、しなやかな竹竿を、もっとしっかり土に突き刺さる、要の止め石の代わりとなる太いものに変化させていったと考えられる。
五ヶ所湾では、龍仙山をリーダーに、五ヶ所の海に潜む龍を、湾に面した全ての浅間さんと共同で、押さえつけていると考えていたのかもしれない。カシミールでみると、龍仙山からは五ヶ所湾に面する各浦ほとんどの浅間さんが見渡せることが分かる。さらにパノラマサイズにすれば、始神や神津佐まで入ってくる。
毎年6月、過去には、ほぼ同時期に行われた浅間祭。祭りの最後は幣上げである。木などに縛り付けて、なるべく高くに掲げるのが慣わしである。各浦からは、いっせいに幣が上がっただろう。そして龍仙山からは、全ての浦の祭りが行われたことを確かめることができた。
参考文献
・黒田日出男「龍の棲む日本」岩波書店、2003年
・「東北地方太平洋沖地震に伴う津波被害の地域特性と南北格差について」岩手大学地域防災研究センター自然災害解析部門 柳川竜一、2013年
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