9 佐八浅間さんとかんこ踊り


 佐八と書いて「そうち」と読む。伊勢市の一番西側で、度会郡と面する町である。この佐八の浅間さんも宮川沿いにあって、こんもりとした木立の向こうは畑を挟んですぐが宮川である。

 社の中には、高さ80センチを超える二体の大日如来の石仏が納まっていて、右に胎蔵界、左に金剛界、胎蔵界には朱色、金剛界には青色の彩色がされているという。相当立派なものである。村の東の山裾にある長泉寺には、大日堂があり、そこにも大日如来が納められている。佐八にはもともと千眼寺(せんげんじ)という寺があって、神宮摂社の川原神社もその敷地内だったという。川原神社は音読みで「せんげんじんじゃ」、浅間神社の跡だそうである。手が込んでいる。

 この社の横には、9本の富士登拝碑が立っていて、古いものは享和3年(1803年)とある。富士の村山修験に関する調査によると、寛永6年(1629年)に村山大鏡坊に佐八から登山願いが出されれている。ここも浅間堤と同様に、ここ300年ほどは富士講の拝所となっているが、そもそも「佐八」の地名は〈沢地〉からきており、宮川の守護神だった川原神社とともに、宮川の洪水害を鎮守する役割を果たしていた「浅間さん」だったと思われる。


 浅間さんからは離れるが、この佐八と小俣周辺には、かんこ踊りという盆の神事があり、有名である。三重県にはこの伊勢を中心に、かんこ踊りが各地に分布しているのだが、特にこの佐八と円座、小俣、豊浜、つまり宮川沿いのかんこ踊りは、独特の、「シャグナ」と呼ばれる被り物を頭に付けることで知られている。


佐八のかんこ踊り(伊勢市佐八)


 シャグナは馬の毛で出来ている。茶色かかっているが、白馬の毛を使っているようである。踊りは夜間に行われ、松明の火に映えて幻想的であるという。踊り手は、親から子への一子相伝であり、シャグナを被ること自体が、他の者と違うという差別化を意味しているようだ。「佐八由来諸記」には伊勢神宮の神官の教えで、古例が今に伝わっているという。踊りは天下泰平、五穀豊穣を祈念しているらしい。注目したいのは、馬の毛と、伊勢神宮、そして一子相伝という差別化である。


 作者不詳浮世絵「神馬」:国立国会図書館パブリックアーガイブ


 これは江戸期の安政の大地震(1854)のときに描かれた浮世絵である。当時、地震は地中深くに潜む鯰が引き起こすと信じられていた。時代を遡れば、中世からそれまでの鹿島信仰では要石が龍を押さえていたものだったが、時代を経て変化し、この絵では鯰を伊勢神宮の神馬が押さえつけている様子を描いている。

  幕末、黒船が日本に来航した同時期、関西から東日本にかけて、日本は各地で地震が起こった。嘉永7年11月4日(1854)、安政東海大地震。翌5日には、安政南海大地震。ともにマグネチュード8.4。翌年の安政2年(1855)は安政江戸地震。マグネチュード7.0。安政3年、安政八戸沖大地震。その他、記録だけでも10回以上の地震が起きていた。江戸や大阪、各地で火災も含めた甚大な被害が出た。死亡者は一万人を超えたともいわれている。

 地震直後、地震を生き延びた人には、伊勢神宮の神馬の毛が付いていたという噂が広がった。つまり、伊勢信仰の篤い、差別化された者だけが、地震災難から救われるということである。おそらく、伊勢信仰と伊勢講を広めた御師たちが広めた噂だったのだろうが、浮世絵が出回るほどこの話は信じられた。

 このような状況で、浅間さんという、もともと地震由来の災害神、洪水鎮守信仰がベースにあった佐八の人が、この噂の影響を受け入れることは、そう難しいことでなかったと推測する。同じようにかんこ踊りを行っている隣の円座町の「羯鼓踊保存会々館」は、大日石を置き、過去には浅間さんの拠点でもあった正覚寺にあり、寺の檀家と踊り手、浅間さんの信者は重複していたようである。

 江戸期にはたくさんの祭りが、芝居作家などによって企画され始まったり、それまでのスタイルを改変して今に至っている。伝説話の多い出雲地方に近い岡山県備中で、古代の古事記神話を伝える国の重要無形文化財の備中神楽においても、その発祥は年代的には浅い江戸末期の国学者が作者である。 神宮のお膝元であり伊勢信仰の篤いこの場所に、御師がやってきて、踊りの演出に手を加えてもおかしくない。厄難水難から救われたいと願っていた人々の、純粋な念仏踊りだった「かんこ踊り」に、シャグナという神馬の被り物が加えられたと考えても不思議ではないだろう。シャグナを着けた踊り手は、神宮からきた御師から、あなたが一番救われるのだと災害難厄除の法を教えられ、それは子孫へ脈々と伝えられた。人は、自分とその家族を一番大切にするものである。

 付け加えると、シャグナがかんこ踊りに取り入れられたのは江戸末期だと思われるのだが、神宮の神馬が地震と結びついたと考えられるのは古く中世である。そのことについては別の機会に述べたい。


参考文献

・濵口主一「伊勢山田散策ふるさと発見」伊勢郷土史会、2014年

・伊勢志摩観光コンベンション機構「伊勢志摩きらり千選実行グループ」HP

・江崎満「伊勢志摩の富士信仰を訪ねて」鳥羽郷土史会、2014年

・中西智子「かんこ踊りの文化的背景」三重大学教育学部研究紀要、2001年

・桜井龍彦「災害の民俗的イメージ」京都歴史学会、2005年

・浮世絵「神馬」国立国会図書館パブリックアーガイブ

・黒田日出男「龍の棲む日本」岩波書店、2003年


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