48 諏訪大社の火山祭祀

#48

写真1 諏訪大社の不思議な配置は、二等辺三角形により火山祭祀をするため


 御柱祭で有名な長野県諏訪市の諏訪大社も、火山の鎮火祭祀がその起源のようである。諏訪大社は諏訪盆地南部の本宮と前宮、北部の下社春宮と下社秋宮の四社で一体の神社となっている、全国二万五千社の諏訪神社の総本社である。過去からその四社の配置の理由が議論されているが、どうやら下社春宮と前宮が対になって八ヶ岳の火山である蓼科山を、下社秋宮と本宮が同じく火山である北横岳を祭祀しているようである。ちなみにこの神社も、日本列島を縦貫する断層の中央構造線上にある。

 八ヶ岳は昔話で、富士山との背比べに勝ったものの、負けた富士山が癇癪を起し、蹴とばされて八つの山に分かれたとされているが、もちろんそれには理由があって、数万年前まではひとつの火山で、噴火を繰り返してハッつの主な山を持つ八ヶ岳連峰となっていることからきている。最高峰の赤岳の標高は2899mあり、ひとつの山だった当時には富士山を上回っていたと考えても無理はない。

 それにしても凄いのは、山が噴火によりはっきりと分離したのは、数万年前であり、その事実が伝承されるということは不可能であり、過去の人は、火山という山を意識した有史以降、八ヶ岳という山の連なりがひとつの火山だったと想像を働かせて、この伝承を作ったと思われる。昔の人も、火山に関する科学的な思考を持っていたことに驚かされる。


写真2 八ヶ岳北端の蓼科山(2531m)は諏訪富士として有名。頂上へ向けて直線的に付けられた登拝道が信仰の山であることを示す。


 蓼科山は、八ヶ岳連峰の麓の広大な傾斜台地の奥に、連峰の盟主のようにそびえ、独立峰的なその山容からこの地方では諏訪富士として有名である。成層火山の上に溶岩墳丘が乗るように成長したことからのこの形の火山となった。山頂は直径100mほどの円周で、溶岩で埋め尽くされているが、わずかな窪みが噴火口跡であることを示している。中心には北側の山麓にある蓼科神社の奥宮があるが、それほど古いものではない。筆者が登ったのは冬の二月だったが、頂上部は森林限界と溶岩地質で樹木がなく見通しがきいて、その日は驚くほど晴れていたこともあり、八ヶ岳の全貌はもちろん、南アルプス北部を見渡す大展望だった。この地域の鎮守山として信仰を集めるに、ふさわしい山である。

 北横岳は、八ヶ岳南部に同じ名前の山があることから、それと区別するために北横岳と呼ぶ。麓から見ると名前通り頂上部が横に長く見えることから、この名前がついていると思われる。直近では約800年前頃の活動の形跡が発見されており、過去は活発な活動をしていた活火山だった。気象庁が危険と判断する活火山にも指定されているが、現在はロープウェイも架かる静かな山である。


リンク1 諏訪神社と結びつく浅間神社


 前回、北口本宮浅間神社がそうだったように、富士山北側の浅間神社は、諏訪神社と結びついていることが特長である。しかも河口浅間神社、山中浅間神社、忍野浅間神社と、古い浅間神社が諏訪神社との関係が深い。また、忍野浅間神社などは、諏訪神輿と富士山型の神輿を登場させるところも似ている。それぞれの神社を訪ねると、神輿が飾られているところまで一緒である。例外は河口浅間神社で、諏訪社は境内社のひとつとして社の存在感が薄いが、九月の諏訪社の例祭には奉納相撲が催され安産を祈願しており、例の如くこれも土地の鎮め行事であると思われる。

 すでにこの地方の諏訪と浅間の重複した信仰は、指摘されているところだが、それが富士火山の祭祀を目的としたものであることはもっと興味深い。信州諏訪の諏訪大社四社の配置は、はっきりと八ヶ岳の蓼科岳と横岳の両火山を祭祀している。諏訪神社は、火山の鎮めとして富士山北麓に鎮座していて、ヤマトからやってきて同じ火山を鎮火祭祀した浅間神社と結びついたと考えられる。

 神社庁登録の山梨県内の全神社数が1273社。その内、諏訪神社が127社、浅間神社が38社である。山梨県はもともと諏訪信仰の浸透度は高いようである。一方で、浅間信仰の社殿は規模が大きく、中央の記録である「日本三代実録」には、貞観7年(865年)に甲斐国へ最初の浅間社が勧請されている。官社制の中、米の集積地でもあった神社は、その当時の政治的背景も反映している。稲作の導入が、東北よりも遅れた東国。埼玉古墳群が示す、古墳期の東国にあった国の勢力範囲。諏訪大社の祭神である建御名方神 (たけみなかたのかみ)は、国譲りの相撲に負けて諏訪に退いた大国主の息子だったという古事記の記録。様々に想像は膨らむ。


引用参考文献

・谷川健一編「日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃 飛騨 信濃」白水社、2000年

・「日本の民話8 上州・甲斐篇」未来社、1977年

・紙谷威廣「山梨県郡内地方の諏訪信仰ー諏訪の森名称と神社祭祀の二重性について」

 論集郡内研究、都留市郷土研究会、1992年

・竹田恒泰「現代語古事記」学研、2011年

・武田祐吉、佐藤謙三「日本三大実録」戎光祥出版 、2009年

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