46 東宮浅間祭り

#46

 東宮は、奈屋浦の奥にある村で、南伊勢には珍しく海に近いが農業の村である。村の向こうには田園が広がる。田へ引く水は、浅間山から湧き出す水を引いている。さっきまでこの用水は、透き通った水が満々と張っていた。これから垢離を取るので、用水の羽目板を外して水位を下げたのである。何に化けたか分からない化粧の者、奇抜な色の鉢巻きの者、めいめいだが、独特の田植えスタイルは決まっている。祭りからは、周辺で行われている海の浅間祭りに負けない気概を感じる。

 もちろん、今は廃れてしまったが、奈屋浦にも浅間さんがあって、浅間祭りが行われていた。すぐ隣村の贄浦(にえうら)の浅間祭りも、今は縮小しているが、現在でも三十人程が参加し健在である。贄浦の浅間祭りの全盛期は、十組ある村の全員が参加し、浜を一斉にスタートし竹弊を浅間さんに上げるのを競ったそうである。勇壮なその様子は、他の浅間祭りを圧するものだったともいう。

 そんな海の男たちの派手な浅間祭りがひしめく南伊勢にあって、内陸の東宮も負けていなかった。自らの村の特色を出した浅間祭りで存在感を示したのである。


写真2 浄衣も年季が入る


 東宮の浅間祭りは、最近では毎年六月の最終日曜日のようである。午後からは、村の作物の即売などの行事も合わせて行う。今年は二十六日の日曜日に行われた。

 朝七時半からコミュニティーセンターに集合して着替えや打ち合わせを行い、八時から祭壇の前で祭文が読まれる。衣装はいつもの浄衣だが、由緒ある家に伝わる浄衣である。背中にはたくさんの富士のご朱印が残されている。中には大峯山上のものもある。登拝を聞くと、今は行っている者は居ないという。聞いた方は、朝からきちんと酒を口にされていて、もう神懸かりである。


写真3 浅間講祭り唄


今年は豊年穂に穂が咲いて
竹に雀が品良くとまる
(中略)
信州信濃の新そばよりも

 独特の歌詞があるのも東宮の特徴である。信州や甲斐などのキーワードからすると、富士登拝の後は、長野の善光寺などにまで足を伸ばしていたのかもしれない。


写真4 大山寺の本堂に準備される幣 


 幣の置いてあるのは、東宮では寺である。大仙寺という。住職は、白山の出身だと仰る。津市の白山かと聞くと、能登の白山という。これはまた、遠いところから婿に来たものである。白山の寺から来たというので、富士、立山、白山を巡った三禅定と関係あるのかと聞きたかったが、一方的に、昔は朝から小幣(写真右)を子供が奪い合っていたや、この辺にはろくな住職が居なかったので昔から寺で浅間祭りをやっているなど、一方的に話すタイプの方だった。


写真5 大弊は太く柱立てにふさわしい


 今年の子供の参加は四人である。イマ時であるので、喧嘩しないように人数分の小幣が用意された。住職の話が子供の話に及んだことや、浅間講が宿とするコミュニティーセンターがもとは保育園だったこと、また大人が祭りの最初からノコギリを準備をして、村を練り歩く途中でも、子供の担ぐ小幣が長過ぎて大変ではないかを気に掛けて居る動作など、この浅間祭りは子供の参加を意識しているようである。


写真6 村の奥には田んぼが広がる


 太鼓の音に合わせて、道行きの唄が聞こえる。そういえば、朝この辺りで、祭りの宿の場所を聞いた男性が、太鼓を叩いて先導している方である。したり顔で教えてくれた訳は、こういうことだった。早朝に田んぼの用事を済ませてから、祭りに取り掛かっていたのである。


写真7 何に化けているのか不明


 垢離場である。やはり山からの水は、夏でも冷たいようで、入るのに気合が要る。カメラを持つ私の相手をして、入るのを先延ばしにする方もいる。子供は入らずに、そこで待ってろと言われている。皆が明るく朗らかなところが、海の浅間さんと一番違うところである。


写真8 垢離取りに特別な動作


 垢離取りの動作は、冒頭の写真の、両手上げからして芝居の雰囲気である。おそらく両手上げは、雨乞いを意味している。そして屈んで、手を水に入れ左右に振って、何かを差し込んでいる。これは苗の植え込みである。動作の間は、ずっと経文か読まれているものの、こうなってくると、もう富士講の垢離取りではなく、浅間信仰本来の水の信仰そのものである。清らかな水の祭祀にあやかろうと、用水に手だけ入れさせてもらった。


写真9 垢離取りが終わったら、のんびりと宿に戻る


 村の中には、時折素晴らしく美しい小川が流れる。水中花のバイカモが咲きそうな水草が流れを泳いで、忍野八海顔負けの風景である。この村が、水をとても大切にされていることがよく分かる。

 この東宮は、南伊勢の中でもオアシスのような場所である。時間の流れ方が違うような錯覚に陥る。海が近いからこそ、逆に異文化に触れた感覚になる。気が付いたら、阿曽浦の浅間祭りが始まる時間が迫っていた。東宮では、幣上げは麓までにしているという。残念ながら来年を楽しみに、村を後にした。

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