22 立神浅間山

 先月の2015年9月17日、気象庁の発表によると、、南米チリ沖でマグネチュード8.3の地震が発生し、それに伴う津波によりチリは甚大な被害となった。津波はさらに太平洋を渡り、日本時間で深夜0:00にはハワイに到達。翌朝18日午前7:00ころには日本に到達した。鳥羽では8:00過ぎに潮位が平常よりプラス0.1メートルを記録。東北地方では最大でプラス0.5メートルを記録した。

 津波の情報は、日本の太平洋岸に住む人々に刻々と伝えられた。

 立神の浅間さんは、不思議な浅間さんである。英虞湾の入江の最奥で、もう少しで海の水が途切れる際に立神神社という明神社を源流とする神社があり、その神社と同体となっている。しかも水際には鳥居と二見浦を模したと言われている岩が二つ並び、満潮には小さな方の岩は海に沈み、干潮時にはふたつの岩は仲良く並んでいる。潮位と深く関わっている浅間さんなのである。

 浅間祭りのときに奉られる弊は、二つの立石を見守るように、その直ぐ側に並べ立てられる。浅瀬の海底は軟らかく、かなり竹竿が刺さるのだろう、相当な風でも倒れな いようである。祭りは白装束で垢離をとった導者が干潮で底の見える地に入り、鳥居の向こう、ほぼ真東の方角にある浅間さんの祠のある小山に向かって頭を垂れる。その向きは彼岸の日の出、もしくは伊豆火山帯の方角でもある。

 一方、丘の上の浅間塚は立石の方には向いていない。どちらかと言うと、長野の浅間山火山の方角である。この祠も、墳丘だった面影を持つ。両側の土盛りを壊さないように、石積がなされている。元々は円墳墓だったものを半分削ったものだと思われる。右側が大日如来を奉る浅間さんで、左が役行者を奉る大峰さんである。

 しかし、どうしてこの場所で二見浦の立石を奉るのだろう。二つの岩の間は狭く、規模自体が小さいので、日の昇ることをシュミレーションすることはできない。 しかもその方角には浅間塚のある小山があり、明確な日輪を期待することも出来ない。塚と神社の関連性も薄く、ここに立石のある必然性はない。

 立石神社の社の壁に書かれている縁起の中で、「二見岩」の呼び方は明治以降のことなので論外として、船越から神様がやってきたというのは、その地でも信仰の厚かった津島神、牛頭天王を想起するのだがどうだろうか。

 立神の二つの岩は、何もないときは、満潮時も干潮時も、いつも決まったタイミングで決まった位置に潮位を愚直に示しているだけである。ただそれだけを、ずっと過去から続けている。


参考・引用文献

・津気象台HP「平成24年9月17日07時54分頃にチリ中部沖で発生した地震について(第6報)」気象庁津気象台、2015年9月18日

・「海と列島文化」小学館編、1992年

・保立道久「歴史の中の大地動乱」岩波新書、2012年

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