伊勢志摩周辺には、「浅間さん」と人々から親しみを込めて呼ばれる民間信仰がある。富士山麓にある「富士山本宮浅間大社」の名前からも分かるように、「浅間さん」の「浅間」(せんげん)とは「富士山」を意味する。つまり浅間さんとは、秀峰富士を敬う信仰である。現在、多くの場所では忘れられた存在となりつつあるが、南伊勢町の方座浦や古和浦などでは、毎年夏至の数日後に浅間祭りが盛大に行われて村中が集う。祭りでは、富士の祭神である大日如来の石仏が安置される高台の祠に、竹弊を競争して奉ることが共通しているようである。近世からは、富士に興った村山修験などの修験者に先達され、実際に富士山に登る登拝も行われた。垢離取りや大日如来はその影響である。だがその信仰状況をよく見ると、浅間神社などを勧請した富士山麓由来のものではなく、あくまでそこに住む人々の自発的な信仰心に基づいた民衆信仰のようである。

 本ブログは、本文を通して扱う、その「浅間さん」と呼ばれる伊勢志摩地域に広がる富士信仰とその周辺について語ることで、タイトルがいう信仰図を描いていくことが目的である。本文によって「浅間さん」が災害信仰であることが明らかになっていくと思われる。それは、有史以前から続く伊勢志摩地域独特の災害環境に起因する自然信仰であり、その状況と信仰の姿を語ることで表題信仰図が描けると考えている。最初からタイトルにある「伊勢志摩国浅間信仰図」なる古絵図などがあるわけではなく、何かの秘密を発掘するものでもない。また、宗教を扱うがスピリチュアルな題材を追うものでもない。あくまで「浅間さん」の姿を語り、それを再現することで、もともと伊勢志摩地域にあり、現在も進行している信仰の姿を少しでも浮かび上がらせることが本稿の主旨である。

 また信仰図を語り描くことで、様々ある伊勢神宮の一面を覗くことも出来ればと考えている。現在伊勢神宮は国家の宗廟としての形式をとり、天皇家の始祖を奉る神社としての姿が強く、しかもその成立は5世紀後半頃といわれ、もともとあった本来の姿は見えにくい。神宮の別宮などが、荒祭宮、風宮、土宮、瀧原宮など、災害を示唆する名称であることに気づかれる方もあると思うが、「浅間さん」と「伊勢神宮」を語ることで、神宮のある場所が、富士信仰を前提とした、伊勢志摩周辺地域を護る災害鎮守の神が住む場所でもあることを説明していきたい。それはより豊かに神宮を知る行為であり、あの正殿で頭を垂れる行為を一層素晴らしくすることであると考える。現在の神宮論の深化した状況を考えるならば無謀ともいえるが、素人の怖いもの知らずと傍観していただきたい。

 さらに大胆で法螺吹きな発言ではあるが、今後一層の国際化に向け、外国人に、彼らに馴染みの深い富士山と伊勢志摩、伊勢神宮の関係を知ってもらうことは、どれだけ利益があるか計り知れないし、そしてそれは、わが国で最も大切な聖地である伊勢神宮とその周辺地域が、人類にとっても重要な、災害の教訓を語る遺産であることを周知することとなり、そのことが微力ながら、普段筆者がお世話になっている伊勢志摩地方の方々への恩返しになればと考えている。